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岡山市の医療法人『なかの歯科クリニック』の理事長、中野浩輔と申します。
インプラント治療にご興味のあるあなたに、その治療方法について詳しく知っていただきたいと思います。まずは私の自己紹介をさせて下さい。
私は昭和38年に岡山市で生まれました。
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、当院の目の前が実家です。
大野小学校、石井中学校、岡山大安寺高校、岡山大学歯学部へと進み、大学卒業後、最初は岡山大学歯学部付属病院に研究生として在籍して、補綴科(ほてつか)といって、歯を失った時のプリッジや、入れ歯専門の教室で学んでいました。2年目からは文部教官助手という大切なポストを任されていました。
その後、岡山駅前の開業医のもとで勤務医を経験して、平成3年に新規で、現在の歯科医院を開業しました。
大学で補綴を専攻していたので、歯が抜けた後のインプラントについては専門的に学びました。勤務医として勤めていた当時も、先輩の歯科医師の先生が行うインプラント治療を見学していましたが、私自身のインプラント治療に対する否定的なイメージはなかなか拭うことができませんでした。
なぜ私は、インプラントに否定的だったのでしょうか?
その理由をお話ししましょう。 |
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インプラントと私との出会い |
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前述の通り、私の専門は補綴(ほてつ)、歯を失った時の学問です。
大学で、そして開業医のもとで、私はインプラント治療の教育を受けました。
しかし、昭和63年頃の大学病院には、インプラント治療の症例が今のように多くはありませんでした。
ここだけの話ですが、その頃の大学病院の口腔外科では、インプラントの手術と言えば、インプラントを入れるのではなくて、インプラントを除去する、取り外すことが多かったのです。
せっかく入れたインプラントを何らかのトラブルから取り去らなければならなくなった方の治療を、当時の大学病院では延々と行っていたのです。そんな症例を日々、目の当たりにしていた私は、
「インプラントって怖い!」
「インプラントは失敗すると大変だ!」
そんな思いを強く待つようになってしまったのです。
開業医のもとでも、多くのインプラント治療を見る機会がありました。
私がお世話になっていた開業医がその当時行っていたインプラント治療では、「ブレードタイプ」という平べったい板状のインプラントや、「サファイヤインプラント」という金属ではなく透明なインプラントをよく使用していました。また、「形状記憶合金インプラント」という、熟を加えると板状のインプラントが左右に開いて骨にがっちりと食い込むタイプのインプラントもありました。
しかし今では、そのようなインプラントは、診療室でもほとんど目にすることはありません。
今ではそれらの”旧式”のインプラントは、ほとんど取り去られてしまったのです。
では、今のインプラント治療は実際どうなのでしょうか?
インプラント治療とは、今でもそんなに失敗が多かったり、予後が悪かったりするものなのでしょうか? |
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私がインプラントを始めた理由 |
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数々の"旧式"のインプラントの失敗を見てきた私は、なかなか自分からインプラント治療を行う勇気がありませんでした。しかし、私はある経験から、インプラント治療に対する思いが180度変わったのです。
それは、上顎に10本のインプラント治療をされたのに、5年後、徐々にインプラントの動きが増してきて、そのインプラントをすべて除去しなければならなくなった女性の患者さまの話です。
平成4年、開業して間もない当院にその方は来られました。その時すでに、上の10本のインプラントは全体が動くだけでなく、膿んでいました。そこで炎症が治まるのを待って、私は10本すべてのインプラントを除去しました。もちろん、すべての歯もすべてのインプラントも失ってしまったので、その方のために私は、総入れ歯を作らせていただきました。私としては、そこそこの出来栄えの入れ歯だと自画自賛していたのですが、その方は、どうしても再びインプラントをしたいと言われるのです。
「あれだけお顔が腫れて痛い思いまでされたのに、なぜそこまでインプラントにこだわるのだろうか?」
不思議に思う私に、その方は言われました。
「中野先生!インプラントがすべてダメになったことは本当に残念です。でもインプラントは本当によく噛めたので、この5年間私は本当に幸せでした。今まであきらめていた家族と同じ食事を美味しく食べることができたのだから、私は少しも後悔していません。何とかまたインプラントができませんか?」
私はその言葉に驚きました。その患者さんは、痛い思いをしてインプラントを取り去る手術までされたのに、また改めてインプラントを希望されている。
「そんなにインプラントってよく噛めるのだろうか?いいものなのか?」
その方は結局、アメリカに行って骨を増やす手術まで受けてインプラントを入れ、何でも噛める歯を取り戻されました。
実は平成4年、当院の開業と時を同じくして、インプラント治療は劇的な変化を迎えました。
それは、骨とチタンが強固にくっつく「オステオインテグレーション」の考案です。
先ほど述べた”旧式”のインプラントに対して、「オステオインテグレーション」の考え方はまさに、”新式”のインプラントの台頭でした。
「オステオインテグレーション」の概念がインプラントに取り入れられて、今のインプラント治療は飛躍的によくなったのです。
“新式”のインプラントは、円筒形の筒型インプラントで、材質はチタン製です。
表面にハイドロキシアパタイトのコーティングが施されているものもありますが、基本はチタン製で、表面にネジが切り込まれています。この円筒形のチタン製のネジ式インプラントは、一度しっかりと骨とくっつくと、長期間安定して、噛む力を負担することができます。
「インプラント治療が、これから歯が抜けた場合の、一番すぐれた方法になる!」
私のインプラントに対する否定的な考えを変えるきっかけをくださった、あの患者さまの言葉に後押しされて、私は数々のインプラントのセミナーや、講演会に積極的に参加するようになりました。
同じ頃、日本最大手のインプラント会社である京セラが「POI」と呼ばれるシステムを開発しました。
(※POIインプラント・・・日本人のために日本人が開発した”新式”のインプラントシステム。数多くのバリエーションを有しており、骨が痩せている方にも適しています。日本で最大の本数を誇るインプラントシステム。)
その評判がすごくよかったので、私は数回、セミナーで勉強して、当院にまずこの京セラ(今は統合してJMMという会社に変わった)のインプラントを導入することに決めました。 |
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インプラントを行ってわかったこと |
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「これからの歯科医院には、インプラント治療が必要だ!」
そう確信してから私は、インプラントに関する最新の技術、知識を積極的に学びました。
まずは半年間のインプラント・ベーシックコースから受講し、長年、コツコツと業績を積み上げて、平成17年には、インプラント・アドバンスコースまで進み、無事に修了しました。
また、私がインプラント治療の師と仰ぐ、福岡駅前に開業されているG先生の行うインプラント治療を見学しに、何度も福岡まで出かけました。さらに、インプラント先進国であるアメリカの技術を学ぶため、G先生と一緒にロスアンゼルスで行われたセミナーにも参加しました。
また平成20年は1人でサンフランシスコに乗り込んで、世界的に有名な先生の診療室に見学に行ってきました。1人でアメリカに渡り、インプラント武者修行を受けてきたのです。その歯科医院では驚いたことに、入れ歯を入れている方が1人もいなかったのです。たとえすべての歯を失っていても!インプラントだけ、つまり取り外しのできない固定式の歯を入れているのでした。
現在、当院においてもインプラント治療を受けられる方が年々増えてきています。平成4年、インプラント治療に対して否定的であった私が、自ら積極的にインプラントに取り組むようになり、今ではこのような想いに至っています。
「インプラントって、患者さんが思うほど、痛くなく、腫れない!」
「インプラント治療って、患者さんが思うほど、手術もそんなにかからない!」
そして、一番私が感じているのは「本当にしっかり噛めるんですよ!」
また、インプラント治療は新しい歯を入れるわけですから、「他の周りの歯の寿命を延ばすことができる!」ということです。
これは補綴(ほてつ)の専門家である私にとっては、ある意味で大きなカルチャーショックでした。なぜなら従来の入れ歯やブリッジという治療法では、私たちがどんなに頑張って精密な仕事を心がけても、10年間、15年間待たせることは、困難な場合が多かったからです。
それがインプラント治療では、可能になるのです。 |
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